Month7月 2017

冗談社の編集長・青江冬星!同じく紅緒を愛する少尉の恋敵であった!

少尉が戦死と伝えられた後、登場する青江冬星ですが、この男性いささか変わった所があります。それは女性に肌を触れられただけでじんましんが出ること。これには笑えました。いわゆる女嫌いです。

いつも長い髪に顔を隠し、仕事には常に厳しく情熱的なこの青江ですが、彼はどうして髪で顔を隠しているのかその理由ってアナタは知っていましたか?

青江冬星の両親は銀行家で、父親が後を継いで欲しいと冬星に頼んでいましたが、彼は頑なに拒否し続け、冗談社を立ち上げ編集長になりました。

冬星の母親は16歳で彼を産み、その前には別の男性と付き合っていたとのことでした。ですから銀行を経営しているのは継父であり、母親の顔に自分は余りにも似ているので常にコンプレックスを感じていました。

ですからそんな母親の元に生まれた自分に腹が立ち、女性などというものは嫌いで、身近には近づけたくない、というのが冬星の女嫌いの理由だったのです。

青江家も銀行経営してるくらいですから、大富豪には違いありませんが、冬星はそんな家を嫌い、両親も嫌ってましたので家を出て、自分で冗談社を経営して生計をたてていたんですね。

そんな時に現れたのが紅緒で、男勝りで、実に女性とかけなはれた面を気に入り、冗談社へ入社させます。婚約者はすでに死んでいて、仕事しないといけない!といった紅緒の情熱に段々魅かれて行く冬星でした。

ですから女嫌いをなおしてくれた紅緒は、冬星にとって大事な存在となり、彼の心の奥底は婚約者が死んでいてよかった…ことだったのです。

しかし、日本に来たサーシャが実は紅緒の許嫁少尉だと知ると、冬星は少尉に対して激しいライバル意識を燃やします。それ以上に紅緒を愛するようになって来た恋敵とも見るようになったのです。

最初は少尉が許せない冬星ではありましたが、少尉が行方不明になっている間、青江銀行から借金をしていた伊集院家が差し押さえられ、少尉の危機を救おうと、冬星は冗談社をたたんで、銀行家を継ぐと言いだしました。

紅緒は冗談社の編集長の仕事を心から好きだった冬星に対して、それは本心ではないと見ぬき、伊集院家を救うことが少尉への手助けと自分自身への愛情だと分かりました。そして紅緒は衝動的に冬星のお嫁さんになると言いだします。

冬星は紅緒の申し出を受け入れて、結婚式をあげますが、運悪くその日は関東大震災に襲われてしまいました。ですから一気に冬星と紅緒の結婚式は震災でぶち壊されてしまい、紅緒は大火事に巻き込まれて行方不明に。

冬星はすぐに紅緒を救助に向かおうとしますが、両親に反対されて大勢逃げていく市民の列にまぎれてしまいます。その間にライバル少尉も紅緒を助けに馬を走らせていました。

家族からうまく抜け出した冬星は、紅緒を助けに向かいました。燃え盛る現場で偶然鬼島と環に会った彼は、少尉もまた紅緒を助けにきたことを聞かされ、またライバル意識が高まります。

一足早く紅緒を見つけた少尉は燃え盛る炎の中で、お互いの愛を確かめあいます。やはり紅緒自身も冬星の愛より少尉の愛の強さを選び、冬星に心から詫びました。

そんな時に冬星は紅緒を発見!逃げる紅緒に「俺と逃げるよりも伊集院とここで死ぬことを選ぶのか?」と聞くと紅緒はうなずきます。ここで冬星は完全に少尉に負けた!と感じ、しまいには「伊集院と幸せになれ。もう決して話すんじゃないぞ。」と言い残して立ち去りました。

少尉との恋敵はここで終結を迎えて、冬星は敗北を認めてまた新しく冗談社を立ち上げることとなりました。

許嫁・伊集院忍!紅緒にはもったいないくらいのイケメン帝国陸軍少尉

ヒロイン紅緒の許嫁の伊集院忍とはどんな男性なのでしょうか?紅緒はいつも「少尉」と呼んでいましたので、少尉として色々ご紹介していきましょう。

まず少尉の両親はすでに他界しており、父親は伊集院伯爵家の息子、そして母親はドイツ人でした。少尉の両親はドイツ人の母の家族が日本人の男性と結婚することを強く反対し、結局結ばれることなく、少尉を授かった後、別の貴族に嫁いでしまいました。

少尉の父は赤ちゃんだった少尉を自分の実家の伊集院家に預けて、外国留学してその後病気で亡くなりました。少尉は両親の愛情を全く知らずに祖父母に育てられました。

でも少尉は両親がいなくても祖父母の愛情をたっぷり受けた男性ですので、ちっともひねくれたり、性格が悪いわけでもありません。祖母の影響からか、穏やかで常に優しい男性に育ちました。

少尉の特徴は「笑い上戸」です。桜並木を自転車で走ってきた紅緒の鼻に毛虫がのっかり、自転車ごとひっくり返ったのが初めての出会いでした。そこで少尉は笑い上戸を発揮。以後も同じ状況は見られます。

ですが少尉は伯爵家育ちのおぼっちゃんの割には非常にたくましく、紅緒の家に来て、剣道で争った時は互角の腕前でした。紅緒の相変わらずのお転婆、男勝り、酒乱に振り回されても、彼女が伊集院家に見習い花嫁にきた時には、自分の家のしきたりを変えていく紅緒に魅かれて愛するようになりました。

しかし、紅緒と少尉がお互いに愛しあう傾向にありつつ中、紅緒は運悪く少尉の上官と酒乱が原因で喧嘩してしまいました。印念中佐は特に相手に対して強く根に持つ厄介な男で、元々気に入らないとされていた少尉を遥か遠いシベリア出兵させてしまいました。

自分のせいで少尉がシベリアに行かされてしまった紅緒は禁酒しますが、舞踏会で飲んだジュースのつもりがシャンペンだったので、禁酒の誓いは崩れてしまい、またもやそこで酒乱騒動を起こしてしまい、それがたたったのか少尉は1人取り残された仲間(後の部下の鬼島)を助けようとして、運悪く敵兵に襲われて命を落としてしまいました。

例え遠く離れても少尉の頭の中には紅緒のことで一杯でした。こんなに相思相愛になったのに、伊集院家には戦死の知らせ。でも紅緒は少尉が死んだ証拠がないので、それでも生きていると信じます。

シベリアで死んだと思われた少尉は、実はラリサという女性に助けられ、一命をとりとめました。ですが意識を取りもどした時の少尉は記憶喪失だったので、ラリサは自分の夫が少尉に瓜二つなのをいいことに、「あなたはサーシャ・ミハイロフ公爵よ。」と言い聞かせます。実はラリサの夫・サーシャ・ミハイロフは少尉とは異父兄弟であり、サーシャの母こそが少尉の母でもあったのです。

これこそが運命のいたずらとも言えます。日本へ亡命したラリサは少尉をサーシャ・ミハイロフ公爵にしたてあげ、姿を現します。取材にたまたま来ていた紅緒は「もしかして少尉?」と驚きますが、記憶喪失の少尉には紅緒のことは分かりませんでした。

日本に戻ってきてからの少尉は、記憶が戻ると自分の周りの現状に驚きました。伊集院家は少尉の戦死によって財産を失い、残された紅緒が伊集院家を必死に守ってくれてた事でした。

少尉の苦悩はやはりラリサにありました。彼女は自分の命の恩人でもあり、他に頼れる人のいないラリサを見殺しにはできないなど、相変わらずの少尉の優しさもうかがえます。

しかし恐ろしい関東大震災をさかえに、少尉と紅緒の運命は一転し、2人は結ばれました。そして2人の間には可愛い男の子が誕生し、春星と名付けられました。

ヒロイン花村紅緒!ちんくしゃな女性の割にはなぜモテた?

ハイカラさんが通るのヒロイン、花村紅緒。物語のスタートでは17歳の女学生ですが、どうも彼女は父親1人で育てられたせいか、男勝りでお転婆、じゃじゃ馬、剣道得意でも女性らしいことは全部苦手で、家事(料理、裁縫、洗濯)はからきしダメ、成績も芳しくありません。

母親を早くに亡くし、甘やかされて育ったのか、やりたい放題の彼女は父親やばあやのいうことなど全然聞きません。

幼馴染の藤枝蘭丸からは、好きだということを打ち明けられ、驚く紅緒でした。紅緒は蘭丸と弟のようにしか見ていませんでした。

でも紅緒はいささか大胆な行動を起こす女性でもあった、と言えます。少尉との突然の縁談を破談にする為に蘭丸と駆け落ちしたり、その最中に出会った牛五郎と喧嘩して勝ったはいいものの、親分・子分の間になったりしました。

居酒屋に行って初めてのお酒を口にした時も、誰もが手が付けられないほどの酒乱に豹変するなど、紅緒には何処にも女らしさを感じません。でもこういった紅緒ですが、彼女は何故かもてたんですね。

容姿や顔立ちだって「ちんくしゃ」の印象を与えるくらいでしたから。ちんくしゃは醜いという意味がありますが、やはりここは少女漫画、紅緒は可愛い主人公でした。

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さてちんくしゃ紅緒がどうして周囲の男性にモテたのか、この理由って一体何でしょうか?普通女の子は可愛くて性格がよいとモテると言われます。でも紅緒は見かけは美人ではありません。寧ろ親友の環こそが美人で、公家の生まれで上品、モテてもおかしくありません。

でも紅緒は男勝りの気立てから、芯の強い女性です。それに1つのことには真剣に取り組む姿勢が見られます。

例えば婚約者の少尉が一時戦死と伝えられた時には、母の形見の白い喪服に身を包み、決して少尉以外の男性とは結婚しないと固く心に決め、伊集院家を守ろうとします。父から言い渡された軍人の妻になるからには他の男性を決して愛さないという忠誠を誓ったのです。

少尉のいない伊集院家を守るために、紅緒は冗談社に就職し、編集長の青江冬星と出会い、編集記者として一生懸命働く職業婦人となります。

幼馴染の蘭丸は男勝りで頼りがいのある紅緒に対しては、本当に小さいときから彼女に思いを寄せていました。

少尉はお転婆でどうしようもない所が見られる紅緒を見る反面、最初から婚約者だと分かっていたので、やはり紅緒のことは出会った時から好意を寄せていました。少尉は環のようなお嬢様育ちの女性よりも、どちらかといえばお嬢様離れそのもので、元気で勝気な女性がタイプだったのかもしれません。ですから紅緒は丁度少尉好みのタイプだったんですね。

編集長の青江冬星は仕事にひたむきな紅緒に徐々に魅かれていき、婚約者が死んでいたことをよかったと心底思っていました。

少尉の部下鬼島も紅緒に一時は魅かれましたが、最後の方では紅緒の親友・環の愛を受け入れました。

こうすると紅緒は4人の男性からモテたわけです。男勝りで女らしくなくても、芯が強く、どんなことが起きても常に冷静でひたむきになるよい面があるので4人の男性たちはそんな紅緒の隠れた良い面を見出していたんでしょうね。

やはり見かけより中身で、紅緒はモテたのです。

代表作品・はいからさんが通る!大正時代を背景にした漫画である!

大和和紀先生の代表作といえば、殆どの方がご存知の「はいからさんが通る」ではないでしょうか。はいからさんが通るは「花の大正ロマン」がキーワードで、よく耳にしたものでした。この漫画のスタートは大正7年になっています。

そもそも大正時代は昭和の前の元号ですが、期間としては15年という短いものでした。1912年7月30日~1926年12月25日が大正時代でした。

では実際に大正7年はどんなことが起こっていたのでしょうか?1918年(大正7年)はまさしく大正デモクラシーの時代でした。世の中では米騒動が起こっていました。これははいからさんが通るの中でも触れられていますが、貧困に苦しむ市民が「米をよこせ~!!」と米問屋に押しかけて騒動を起こしたのが米騒動でした。

そして日本の政治界では原敬氏が初めて本格的に政党内閣を作りました。

こうしてはいからさんがスタートした大正7年の世の中を調べるだけでも素人の私ではかなり時間がかかりました。でもあの時代月に1回少女漫画雑誌を出していた大和先生はスピーディーに大正時代のことを事細かく調べて作品にしたことが改めてよく分かりました。

やはり漫画家は物知りじゃないと描けないってことですね。

1つの作品を雑誌に印刷して発表するのはどれだけ大変だったことでしょうか?ストーリーや登場人物を考えるだけでも大変なのに、現代より過去の時代をテーマに漫画にしていくのは、とても素人には務まりません。

プロだからこそ、やっていけるんですね。でも昭和時代は今の様にパソコンやスマートフォンなど、インターネットで調べることなんてありませんでしたから、あの頃色んな情報を調べようとなると、百科事典を使うことが多かったと思います。

はいからさんの時代背景は大正7年~大正12年までです。関東大震災も物語の中で触れられていますので、いかにこの作品が奥深かったかと思い知らされる次第です。

それに縁談なども、やはり日本の風習で「お見合い」が多くて殆ど両親の決めた相手と結婚することが当たり前の時代でもありました。ですが顔も性格も知らない者同士がいきなり結婚して夫婦になるのって、現代では何とも無謀に思います。

そのはいからさんも、お見合い~熱愛~進展しない2人~心が通じ合えたのにお互いに離れてしまう~戦死~戦死と思われたが生きていた~やはり波乱万丈~関東大震災~結末と大正時代をバックにストーリーが展開していきます。

特に物語最初の方では女学生の生活が描かれていますから、大正時代の女学生姿が現代の短大・大学の卒業式の衣装になっています。私もこの女学生姿には、当初から憧れていまして、実際に卒業式ではいからさんのように着物、袴を着た時はもう感激しました。髪型まですっかり漫画の真似をしていました。

その為に髪を伸ばしていたことも覚えています。大正時代の女学生の髪型は私は今でも大好きです。いかにも女性らしく見えて、そして大人っぽく見えます。

10代の頃、何となく読んでいたはいからさんではありましたが、こうして見ますと大正時代の詳細を調べて作品にしていく大変さは想像以上だったと思います。私はそんな大和先生を尊敬します。

時代もの漫画多し!大和和紀の作品の魅力に迫る!

大和和紀先生の漫画作品は、時代物が多い模様です。1966年(昭和41年)週刊少女フレンドよりデビューしました。

デビュー以降、大和先生は週刊少女フレンドにて沢山の漫画作品を出しました。1971年(昭和46年)の「モンシャリCo Co」ではテレビアニメ化されました。(実はこの作品は私はテレビで見たことがありません。)

大和先生の出す漫画作品には特徴があります。それは現代よりさかのぼった過去の時代を背景にした漫画が多い事です。

過去の時代を漫画にすることは大変です。歴史をまずよく調べてからでないと漫画は描くことが出来ません。それに多少は勉強をしておかないといけません。

漫画家はただ絵が上手だけでは通用しない世界です。物語を描く以上、それにまつわるエピソード、色んな情報を正確に調査しないと作品が出来上がりません。まさしく厳しいです。

1973年(昭和48年)~1974年(昭和49年)に発表された「ラブパック」は平安朝を背景にした漫画作品で、後にテレビにてドラマ化されました。しかしまだこの頃は大和先生の作品は読んだことがなく、作品の詳細は分かりません。

1975年(昭和50年)に出した「レディーミツコ」では明治時代を背景にした作品であり、ヨーロッパの貴族男性と結婚した日本人女性の人生が描かれています。

明治時代と言えば、私の祖父母世代。時代物を描くことは、当時としても相当難しかったと言えます。多分大和先生は明治時代のことを色々調べながら作品を描かれたんだと思います。何とも凄い話です。

それに大和先生は日本国内のストーリー漫画が多くて、勿論登場人物も日本人の名前なので、分かりやすかったです。

写真で大和先生の顔を拝見したことがなく、一体どんな顔立ちなんだろうか?と想像もつきません。でも先生の絵のタッチでず~っと想像してきましたので、多分こういう顔をされているんだろうと長い事推測してきました。

1978年(昭和53年)以降になると大和先生は、今までのフレンドから「月刊mimi」に移行し、少女漫画作品を沢山出しました。

月刊mimiになってからも、先生は時代物の漫画作品を多く執筆され、多くの作品が宝塚や実写版映画になったりするほどの実績を残しました。

正直言いますと大和先生の作品には、余り詳しくない私ですが、昔から現在に至るまで時代物を背景にした作品が多く見られますので、これが先生の大きな特徴、そして魅力なんだと感じております。

それに大和先生の作品は後に塗り絵として販売されるようになり、「大人の塗り絵」として書店に沢山並んでいるのを見たことがあります。

私が感じた限りでは、先生の描かれたタッチは塗り絵としてはとっても塗りやすいです。これは私個人の感想ではありますが、本当に塗りやすくて色の構成がしやすいです。

2016年(平成28年)で、大和先生はデビュー50周年を迎えあちこちで催しものが開催されました。ひとえに50周年とはいえ、漫画を半世紀に渡って描いてこられたことはますます私は敬服いたします!

大和先生、以後はどんな作品を描いていくのか楽しみです。

1990年代のいがらしゆみこ作品!世界名作劇場が漫画になった!

「キャンディ・キャンディ」や「レディジョージィ」など、少女漫画で大ヒットを続けたいがらし先生ですが、1990年代はいがらしゆみこ美術館で何と!世界名作劇場を漫画本にして発売されました。

これらは一般の書店では手に入れることが出来ず、いがらしゆみこ美術館限定の販売だったのではないかと思われます。しかも世界名作劇場で漫画にしたのは、「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「オズの魔法使い」の3作品です。

「赤毛のアン」ではアニメ版では放送されることのなかった先生になった後の大人になったアンが漫画になっています。「アンの青春」「アンの愛情」などまさしく大人の女性になったアンの人生が実によく描かれています。

「アルプスの少女ハイジ」と「赤毛のアン」シリーズを私はいがらしゆみこ美術館で購入しました。そして一気に読んでしまいました。アルプスの少女ハイジはいがらし先生が描くともうジョージィがショートヘアになった女の子バージョンって感じです。

テレビアニメのハイジとは、イメージが全然違っており、まさしくいがらし先生の描かれたハイジは少女漫画そのものです。ですが名作劇場が少女漫画系になっても違和感がなく、寧ろ新鮮な気持ちで読めました。

やはり私はいがらし先生のファンですから。

でもいがらし先生の絵がらが1990年代から何となく変わってきました。1コマ1コマが大きくなり、すごく見やすくなったことと、読みやすくなったことです。

しかし「赤毛のアン」を読んだときには、「あ!キャンディか?」と思ったくらいでした。あの人気作のキャンディはもしかしたらアンがモデルだったのかな~と思ったこともありました。

何しろキャンディとアンの共通点は孤児院出身と、みなし子、そばかすがあることですから。でもキャンディはアンのように先生になったわけではなく、看護師としての道を歩いていたわけです。でもキャンディもアンも職を持った職業婦人って所も共通していると言えます。

いがらし先生が世界名作劇場を漫画にしたことによって、何だかますます先生の作品に面白みを感じるようになりました。

アニメとは違ったハイジの魅力とは?やっぱり誰でもすぐに友達になれるハイジはすごいです。頑固者のおじいさんと生活していくうちに、おじいさんも穏やかな性格になっていき、心奥から孫のハイジを愛するようになり、村の人達と和解し、教会へ足を運ぶようになりました。

フランクフルトでのハイジの生活ぶりは、本格的なお嬢様そのものでした。クララはまさしくキャンディに出てくるようなアニーを連想させ、執事のロッテンマイヤーさんも何だかアニメの怖い人とは違い、何処かギャクを見せつけるような感じのキャラクターに見えました。

クララがアルプスへ来てからは、ハイジと一緒に過ごすことが多くなり、それを見たペーターは面白くありません。クララがいるせいでハイジと牧場へ行けない!と怒っていました。ここがアニメとは違うところです。

漫画の中のペーターは、原作通りに設定されていて、ハイジと常に一緒にいるクララを嫌っては、ついにはクララの大事な車いすを壊してしまう行動になっています。でも車いすがなくなったお蔭でクララは歩けるようになり、ペーターは自分の犯した過ちを反省し、クララに謝っています。

赤毛のアンは最初のストーリーは殆どアニメと変わっていません。ですがいがらし先生の描いたアンはアニメとは違って実に可愛く、キャンディを連想させるそのものでした。

いがらし先生の懐かしい少女漫画には本当に何度も読みたい気分にさせられます。これからも先生には作品を描き続けてもらいたいです。

恋愛漫画レディ・ジョージィ!当時としては過激な物語だったか?

いがらし先生の代表作としてもう1つ恋愛漫画の「レディ・ジョージィ」があります。これは「キャンディ・キャンディ」とはまた違ったラブロマン溢れる作品でもありました。

井沢満氏が原作で、この漫画の主人公・ジョージィはオーストラリアで兄2人と母の4人家族で暮らしていました。ジョージィの暮らす家は牧場を経営する所で、父亡きあと兄と母と一緒に牧場を切り盛りしてきました。

ジョージィの腕には見事なブレスレットがついていました。亡くなった父がいつも身に付けて置くようにとジョージィに言い聞かせていたのです。でもこのジョージィのブレスレットはある重大な秘密が隠されていました。

でもそんなこととは知らずに、ジョージィは兄のアベルとアーサーと仲の良い兄妹として、オーストラリアの大地を駆け回っていました。

でもアベル、アーサーの母はジョージィにはいつも冷たく当たっていました。ジョージィはそんな母の態度に対して悲しく思っていました。

ジョージィが14歳、アベルが17歳、アーサーが16歳に成長した時、2人の兄はジョージィを妹として見なくなってきました。美しい女性へと変わっていくジョージィにアベルもアーサーも妹から1人の女性として愛するようになってしまったのです。母は2人の息子がジョージィを愛するようになるのが一番不安要素でもあり、だから彼女に対しては優しく接することが出来ませんでした。

ジョージィは実はイギリスから渡ってきた流刑囚の子供で、嵐の中、流刑された夫(ジョージィの実の父)を追って妻が赤ちゃんのジョージィを抱いて追いかけていた時、運悪くカミナリが落ちた木の下敷きになり亡くなってしまいました。その時、拾ったのがアベルとアーサーの父だったのです。

母は流刑囚の子供を育てることに猛反対しましたが、父は「この子は神様がお与えになった私達の子供だよ。」と実の娘としてジョージィを育てることにしました。ブレスレットはジョージィの実の母の形見だったんですね。

特にアベルはジョージィに対して、妹以上の激しい愛を抱き、誰にもジョージィを取られたくない思いが強くなっていきました。でもジョージィがイギリスから来たロエルと恋に落ちたことを知った時には怒りと共に激しい嫉妬心で、それをめぐってアーサーと喧嘩してしまいました。

2人の息子がとうとうジョージィを愛してしまったことに激しいショックと怒りを感じる母は、もうジョージィを追いだすことしか頭にありませんでした。そしてとうとう我慢が爆発、ジョージィに「お前はうちの子じゃない、お前の父は流刑囚なんだ!」と出生の秘密を明かしてしまい、激しいショックを受けたジョージィは皆に迷惑はかけられないと自ら出生の秘密を知るため、イギリスへ行ってしまいました。

それからのジョージィのイギリスでの運命は過酷なものでした。

ですがこの漫画を見ていて、恋愛ストーリーだということは分かりましたが、ロエルとジョージィのキスシーン、とても10代とは思えないラブシーンは当時としてはとても過激だったのではないかと思われます。ロエルと別れた後、ジョージィはアベルの愛を受け入れますが、今まで兄として一緒に暮らしてきたのに、急に1人の男性として見るなんて果たして出来るでしょうか?普通だったら出来ないはずです。

しかもアベルの子供を妊娠するとは!原作では急展開するも、結局ジョージィもキャンディと同じく好きな男性とは結ばれることは出来ませんでした。実の父に会えることは出来ましたが、ジョージィの運命はアベルの命さえも奪ってしまうほどの過酷さでした。

詳細は原作漫画を読んでいただくとお分かりになります。

お転婆少女キャンディ!もしアナタの傍にいたら友達になる?

キャンディ・キャンディの主人公キャンディは実にお転婆で勝気な女の子です。こういった元気で活発な女の子がアナタの傍にいたら?如何ですか?お友達になりますか?

私だったらキャンディみたいな女の子とは是非お友達になりたいです!キャンディはお転婆であっても、常に明るさを失わない、前向きな女の子です。どんなことにあっても決して負けない、持ち前の明るさで決して折れることはありません。

意地悪なニールやイライザに対しても、負ける気はなく、常に対抗していましたからね。
寧ろキャンディのその勝気な性格に負けていたのはニール、イライザ兄妹の方だったと言えます。しかしあの兄妹の陰湿なイジメは許せませんでした。特にイライザって本当に性格が根っから悪い、腹黒かったので、アンソニーやテリィからは全く相手にされなかったんでしょうね。(笑)

性格の悪い女の子は絶対に男の子が振り向くことはありません。イライザはそういう自分に全く気づいていませんでした。でもお金持ちの女の子には変わりなかったので、容姿はよかった?のでしょうね。→キャンディ曰く、イライザに対して「すごくきれいになった」のコメントがありました。

キャンディは意地悪な人間はまともに相手にしていないところも見られました。これは実にいいことです。嫌な人は関わらない、無視!ってところがいかにもキャンディらしかったと思います。

そしてアニーやパティとの友情を大切にするのも、キャンディの性格のいい所です。キャンディは思いやりの深い部分も持っています。その理由はアニーが一時期孤児院出身のことを必死に隠していたことを察して、ちゃんとアニーの気持ちを理解していたからです。

でもアニーはキャンディと比べるととっても人目を気にする女の子でしたので、寧ろアニーにとってキャンディのような友達は心強い存在と言えます。だってちゃんとリードしていく能力がキャンディにはありましたから。

パティにしてもそうです。パティが学園内で秘密に飼っていたカメを院長に見つかってしまった時には、キャンディは勇敢にもパティを庇って院長を説得していましたから!でもそれが度が過ぎると「がんこばばあ!」と発してしまい、院長を怒らせる大失敗などもしでかしています。

養女にしてくれたウイリアム大おじさまに対しては、感謝の気持ちを決して忘れず、いつも手紙を書いていました。事故で記憶喪失になって病院に運ばれてきたアルバートさんを必死に世話して、その後いつも感謝していた大おじさま、そして丘の上の王子さまだったことにキャンディはさすがに驚いてしまいましたね。

でも明るくて、常に前向きなキャンディであっても、好きな男性と結ばれることはありませんでした。これがキャンディの悲劇的なヒロインとして言えます。初恋の人アンソニーは落馬で命を落とし、テリィは事故の責任を感じて、自分に愛を寄せていたスザナを受け入れてしまったため、別れてしまいましたし…!!

最後の意地悪ニールに思いを寄せられたキャンディもさすがに迷惑してましたね。ニールはストーカー行為をしてたと言えます。しつこくつきまとってましたから。現実ならもう警察相談ですよ、まさしく。

キャンディは本当に性格のいい女の子です。現実にもしいたら本当にお友達としてリードしてもらいたいです。

テリィともし結ばれていたら、素敵な奥さんになって可愛い赤ちゃんを誕生させていたことでしょう。

今でも語り継がれる名作キャンディ・キャンディ!人気の秘密とは?

現代でもいがらし先生の代表作「キャンディ・キャンディ」の人気は衰えてはいません!平成生まれの人達でもこの作品はよく知っています。両親の影響でしょうね。ですがこの作品は私も大好きで、単行本は勿論今でも保管してあります。

主人公キャンディは、赤ちゃんの時に孤児院ポニーの家に拾われて、2人の先生が母代わりとして育っていくという話からスタートします。

その後キャンディは同じ日に拾われたアニーと姉妹の様に育っていきますが、アニーがお金持ちの養女になって引き取られ、暫くは手紙のやり取りをしていましたが、アニーから一方的な別れを告げられたときには、さすがに泣いてしまいました。その時に出会った「丘の上の王子さま」に「笑った顔の方がかわいいよ」と言われ、彼女は憧れを抱き始めます。

ですがその後のキャンディは波乱万丈な出来事が待ち受けていました。ラガン家ではニール、イライザ兄妹の陰険なイジメにあって、泥棒にされてメキシコに追いやられるところでしたが、何とキャンディの運命は一転してアードレー家の養女になり幸せになりました。

ですが幸せになれたのもつかの間、初恋の人アンソニーがキツネ狩りの日に落馬の事故にあい、帰らぬ人になってしまいました。悲しみから立ち直るためにキャンディはポニーの家に帰り、ポニー先生、レイン先生の優しさと暖かさに包まれて明るさを取り戻しました。

そしてウイリアム大おじさまの命令により、キャンディはイギリスに渡って寄宿舎学校へ入学します。そこで出会ったテリュース・G・グランチェスターと相思相愛の仲になりました。学園内でもキャンディの生活には波乱万丈が絶えませんでした。でも親友を取り戻したアニーやパティと楽しくやっていく場面も見られました。

次第にテリィに魅かれて行くキャンディに横恋慕したイライザは、陰湿な意地悪をし、キャンディやテリィを罠にはめましたが…!!ですが誤解されたままキャンディを退学させるわけにはいかないとテリィは自ら学園を去っていきました。

テリィを好きになったキャンディもまた、学園を飛び出してアメリカへ渡りました。そしてキャンディは看護師の道を選ぶこととなり、メリージェーン看護学校で勉強を始めます。一方のテリィは演劇の勉強を始めました。

シカゴに移ってからも、キャンディは派遣先の聖ヨアンナ病院で正式な看護師を目指して奮闘します。テリィのいる劇団が1日限りの公演でシカゴにきた時にはキャンディは大事な仕事をすっぽかしてしまいました。仕事より愛を選んだキャンディでした。

シカゴでのテリィとの再会はうまくいかず、結局列車のデッキから身を乗り出すテリィと病院を抜け出して列車沿いの道を走るキャンディが本当につかの間の再会でした。

テリィとの再会後、アルバートさんが記憶喪失となってキャンディのいる病院に担ぎ込まれ、そこからキャンディは恩人のアルバートさんへの看護を必死にするようになりました。

暫くはアルバートさんの世話をしながら、テリィとの文通もうまくいっていたキャンディでしたが、ある日突然テリィと芝居稽古をしていたスザナが芝居照明塔が落ちてきて、テリィを庇ったために、足を切断する女優生命を断たれる大けがをしました。

その責任を感じるテリィの苦しみ…それがテリィとキャンディの間に悲しい結末を迎えることになりました。

スザナもまたテリィを愛していたことを知ったキャンディは、2人のために身を引くことにし、テリィと別れてしましました。その後もキャンディには悲しいことの繰り返し。志願兵ステアの戦死も続きました。

こうして見ますとキャンディは、悲劇のヒロインだったことがよく分かりました。

講談社なかよし!いがらしゆみこの作品は盛り沢山であった!

現代でも活躍されているいがらしゆみこ先生。いがらし先生のデビューされた年は1968年(昭和43年)、高校3年生の時でした。それ以降いがらし先生は沢山の少女漫画を描いていきました。

私がいがらし先生の作品の印象は「なかよし」に掲載が多かったことです。いがらし先生の作品が最初になかよしに掲載された作品は1974年(昭和49年)の「敦子のあしたは」でした。ですがこの頃はまだ私はいがらし先生の漫画は読んだことがなく、殆ど小学館の「小学4年生」~「小学6年生」までの漫画雑誌を読んでいて、いがらし先生の名前は勿論知りませんでした。

私は初めていがらし先生の作品を読んだのは、タイトルが「さなえちゃん」。主人公のさなえちゃんはチビでおしゃまな女の子で、ハンサムな青年に恋をするどちらかと言えば、少女漫画にしては、ギャグっぽかった覚えがあります。

でもこのさなえちゃんは、中学生になってから、友人の持っていた単行本を借りて読んでいました。なかよしのいがらし先生の昔の作品だったことをこの時初めて知りました。

そして本格的にいがらし先生の作品にはまりつつあった作品は「まみむめ見太郎」でした。双子のまみとむめは対照的な性格で、特にむめは引っ込み思案の大人しい女の子でした。その2人に割り込むかの様に登場した少年見太郎。この見太郎は中学生ながらもエッチな少年であり、むめに現代で言うセクハラまがいな言葉を発したことにより、傷つけてしまうストーリーでした。

この作品は少女漫画であっても、少し性的?中学生の思春期をテーマに描かれていました。女の子は思春期を迎えると体が少女から大人への変化期であり、より女らしくなっていくことを教えてくれました。それに加えて男の子はそんな女の子の体の変化に興味を持ちだすことなども描かれていたと思います。

ですからいがらし先生は、なかよしの常連漫画家として活躍されていたと思われます。

「さなえちゃん」や「まみむめ見太郎」の作品を読んだことで、ますます私はいがらし先生の作品の魅力にはまっていきました。

何だかいがらし先生の描く絵がらには特徴があります。ペンタッチが太いことと、少女漫画であってもちゃんと1コマ1コマに背景があることです。通常少女漫画って、バックが白くて背景がないことが多く見られました。

そしてこの後にいがらし先生はあの名作「キャンディ・キャンディ」の連載開始をします。原作者は水木杏子先生。「キャンディ・キャンディ」の連載開始は1975年(昭和50年)でした。しかし、私はまだその「キャンディ・キャンディ」が非常に人気になることはまだ知る由もありませんでした。

私自身、小さいころから絵を描くことが大好きで、よく広告の裏に描きまくってました。ですから母が私が絵好きなのをよく知ってましたので、新聞に入ってくるチラシの裏が白いのを探しては別の場所に移してくれたものです。

さて「キャンディ・キャンディ」の存在を知ったことにより、私の少女漫画好きはどんどん進んでいきました!

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